琵琶湖を駆ける「ビワイチ」が描く持続可能な地方創生の輪
経営学部 教授 都留 信行
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滋賀県のシンボルである琵琶湖の湖畔を自転車で巡る「ビワイチ」、全長約200kmのこのサイクリングコースは、単なるスポーツやレジャーの域を超え、今や日本の地方創生と持続可能な社会構築を体現する、先進的なモデルとなっています。その起源は、現代の「自動車社会」への問いかけから生まれました。
1. 理念から始まった「輪の国」の構想
琵琶湖を一周する行為自体は、古くから小さい頃からのちょっとした冒険の代わりとして親しまれてきました。21世紀に入り、明確な社会的な目的を持って推進され始めました。その背景には、地球温暖化や地域交通の課題に対し、「自動車中心ではない、持続可能な社会を構築する」という、壮大で哲学的な理念が脈打っているのです。
2009年に設立された民間の団体「輪の国びわ湖推進協議会」は、この運動の核となりました。その設立趣旨は「びわ湖一周サイクリングをきっかけに、気軽に自転車に親しむ人を増やし、健康的で環境に調和した社会をつくる」ことです。これは、自動車に依存する生活から脱却し、誰もがアクセスしやすく、環境負荷の少ない「自転車普及社会(低炭素化社会)」をめざす、壮大な社会実験だといえます。この理念は県が立ち上げた滋賀県自転車活用推進協議会にも波及し、答申として「+cycle(プラス・サイクル)構想」を打ち出します。これは、自転車を単なる私的な移動手段としてだけでなく、公共交通と連携させる、地域の生活インフラの一部としています。
さらに、ビワイチはMLGs(Mother Lake Goals)の達成に資する具体的施策の一環として位置づけられています。MLGsは、琵琶湖を基点とした2030年に向けた持続可能な社会の実現を目標とする枠組みであり、「琵琶湖版SDGs」とも称されています。ビワイチは単なるレジャーの提供に留まらず、琵琶湖の自然環境および文化資源への理解と愛着の醸成を通じて、MLGsの目標達成に資する取り組みとして評価されており、湖岸地域の環境保全や地域社会の発展への貢献が期待されています。
2. 観光資源への昇華と「おもてなし」の整備
ビワイチの理念は、国の地方創生の機運に乗ることで、結果として官民一体となる環境整備が進められました。さらに、2019年にはビワイチが国の「ナショナルサイクルルート」に指定されました。これは、観光資源としての価値を公的に認められたことを意味し、国内外への発信力が飛躍的に向上したといえます。
ビワイチの特徴は、「走る」ことへの配慮と「迎える」ことへの配慮が両立している点にあります。
まず、「走る」配慮として、総距離約200kmという特性を考慮し、アップダウンが少なく、初心者でも比較的挑戦しやすいルートが整備されました。日本の道路交通法に基づき、琵琶湖を左手に見る「反時計回り」が推奨ルートとされ、サイクリストの安全を確保するための路面表示や案内標識が設置されています。
そして、ビワイチを支えるのが、地域住民の協力による「サイクルサポートステーション」のネットワークです。ホテル、旅館、道の駅、地元のカフェやコンビニなど、約200箇所を超える施設が参加協力しています。ここでは、スポーツバイクに対応した空気入れや工具の貸し出し、トイレの無償提供、そして何よりも地域住民による温かい声かけといった「迎える」配慮が提供されます。
この強力な官民連携によるサポート体制は、単なるサービスではなく、ビワイチを通じて地域に訪れる人々を、「自転車で旅する仲間」として受け入れる文化そのものを醸成しました。この文化こそが、ビワイチを「理念」から「地方創生のエンジン」へと進化させる重要な要素といえます。
3. アンケートからみえた地域経済への波及効果
ビワイチは、単なる理念や文化としての普及に留まらず、観光客の増加を通じて、地域経済に具体的な貢献をもたらし始めます。滋賀県によると、ビワイチ体験者数は年々増加し、最新の調査では、年間約11万9千人ものサイクリストが琵琶湖を周遊したと推計されています。
その実態を把握し、更なる活性化につなげるため、滋賀県や関係団体は定期的に参加者を対象としたアンケート調査を実施しています。ここで、最新のビワイチ体験者アンケート調査(令和6年)の概略から、その実態と、今後の可能性を探ります
①宿泊消費のポテンシャル
②飲食消費の伸びしろ
③内陸部への波及効果の兆し
④今後の課題
①宿泊消費のポテンシャル
注目すべきは、ビワイチで宿泊するサイクリストの1人あたりの観光消費額が、一般の観光宿泊者と比較して「やや多い」という結果が出ていることです。特定の目的を持って遠方から訪れるサイクリストは、必然的に宿泊を伴う周遊となります。地元のホテルや旅館を利用し、地元の食事やサービスに対して積極的な消費を行う「質の高い顧客」であることを示唆しています。
②飲食消費の伸びしろ
アンケートの飲食費に関する結果は、ビワイチの「地域経済への貢献の伸びしろ」を示しています。例えば「滋賀県内で使った飲食費」については、全周したサイクリストの約7割が500円以下と回答するなど、飲食物を自前で用意したり、休憩地点での消費が少なかったりする傾向がみられます。このことは、多くのサイクリストが、コンビニエンスストアでの補給や、自前で持参した食料で済ませている可能性を示しています。サイクルサポートステーションでの食事提供の強化や、地元の特産品を活かしたグルメへの誘致など、地域経済への貢献度をさらに高めるポテンシャルがあると思われます。
③内陸部への波及効果の兆し
アンケートでは、単に琵琶湖を一周するだけでなく、そこから派生して湖畔から離れた内陸の地域を周遊する「ビワイチ・プラス」といった多様な楽しみ方についての情報も得られています。今後、サイクリストがどの地域の観光スポットや歴史的資源に関心を示しているかを分析することで、より幅広い地域への経済活性化にも繋げる可能性を秘めています。
④今後の課題
ビワイチは、さらなる深化を目指しています。
その一つに、先述のビワイチ・プラスの推進があります。これは、琵琶湖一周を起点としながら、近江商人ゆかりの地や、里山といった内陸部の豊かな歴史・文化資源とサイクリングを融合させる試みです。これにより、観光客の流れを県内全体に分散させ、地方創生の恩恵を広く行き渡らせることを目指しています。
しかし、アンケート結果からは、同時にいくつかの課題も浮き彫りにしています。多くの回答者は、安全対策のさらなる充実や、休憩所の増加、そして特に初めて周遊するサイクリストにとってのルート案内の分かりやすさを求めています。
ビワイチの目標は、単に経済効果を生むことではなく、「誰一人取り残さない持続可能な社会」を築くことです。そのためには、初心者から上級者まで、誰もが安全かつ安心して自転車を楽しめる環境を整備し続ける必要があるといえます。
4. 結び:自転車が拓く、未来への道
ビワイチは、単に琵琶湖を一周するサイクリングから始まりました。行政と民間が連携して「地域経済への貢献」という成果を経て、今や「地方創生のエンジン」へと発展しています。
およそ12万人もの人々が自転車を通じて滋賀県を訪れ、その消費が地域を支え、さらに彼らが琵琶湖の環境保全意識を高める。この好循環こそが、ビワイチが築き上げた最大の成果といえます。
今後も、きめ細やかなサポートの拡充、宿泊を伴う周遊の促進、そして県民一体となった「おもてなし」の輪を広げることで、ビワイチは「輪の国」滋賀を、世界に誇れる健康で環境に優しい地域のモデルとして進化し続けると考えます。









