SANNO VOICE

青野佑太郎 情報マネジメント学部現代マネジメント学科3年 静岡県私立浜松学院高等学校出身

「やり遂げた」という記憶を自分の中に残したい。
「何かを求めて」セネガルへ

時間が自由に使える大学生のうちに、自分の可能性に挑戦したいと思いました。そのきっかけを作ってくれたのが、家庭の事情でお世話になっていた「あしなが育英会」でした。この「あしなが育英会」が主催する海外研修に参加し、アフリカのセネガルに1年間滞在することにしました。多くの研修先の中からセネガルを選んだのは、研修プランがフリーであったことと自分にとって未開の地だったからです。全てゼロの状態で自分に何ができるかを、試してみたかったのです。

セネガル滞在中は、各国から集まった学生たちと寮で共同生活を送っていました。最初の5ヶ月はセネガルの公用語であるフランス語の学習をしながら、この国で自分ができることについて考えていました。日々の生活の中で気になったのが、障がいを負った人が多くいたことです。道路整備や交通ルールが未整備であることからセネガルには交通事故に遭う人が多いのです。一方でセネガルでは、こうした障がいを持った方々への理解が遅れているように思いました。

思いついたのが、学校の中で障がい者理解を促す教育プログラムの導入でした。障がい者の苦労を体験してもらうことを目的に、現地の高校にブラインドサッカー体験プログラムを提案しました。企画書を作成し、現地の高校にアポイントを取り、プログラム導入に向けてのプレゼンテーションをしようと思ったのです。拙いフランス語で現地の高校30校を訪問し、説明をしましたが、ほとんどの学校では興味すら持ってくれません。それでも、2つの学校が理解を示してくれ、プランを試してくれることになりました。

一年間のセネガル生活を通して、多くの気づきがありました。一つは、語学力が十分でなくてもやる気さえあれば、なんとかなるということです。私の中で海外へ出ることのハードルが低くなりました。また、日本はグローバル化への対応が遅れていると感じました。日本はとても恵まれた国で、日本語だけで十分に暮らせます。しかしアフリカで出会った学生たちは、自分の可能性を伸ばそうと気持ちは常に海外に向かっており、学ぶことに貪欲で勤勉です。そのような人々と今後私たちは対等に渡り合っていけるのだろうか?不安を感じました。この体験を糧に今後は、よりハングリーな自分でいたいと思います。
※2018年掲載