産業能率大学

創立者 上野陽一 -日本にマネジメントを導入した「能率の父」-

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活動実績

上野陽一の活動は、日本における産業能率研究の歴史です。

1919 年
早稲田大学にて広告心理学を教授。ライオン歯ミガキ(小林商店)広告部長中尾氏と知り合う。ライオン歯ミガキ工場の業務能率の研究を行う。
1921 年
小林商店での成功事例を大阪で発表。クラブ化粧品(中山太陽堂)、福助足袋社長よりコンサルティング依頼を受け、工員の削減、高工賃体質、省スペース化による生産などに着手、販売価格の低下を実現させる。
1921 年
産業能率研究所発足準備で欧米視察に向かう。
1923 年
不景気のおり、能率が世間で注目を集める。大阪の造幣局より臨時能率調査課長に任命される。生産20%アップ、人員20%減、スペース31%アップ、運搬距離29%減の成果を収める。
1925 年
満州鉄道を能率指導。日本産業能率研究所を設立。
1929 年
白木屋の嘱託として指導(初の商業関係のコンサルテーション)稼動調査、職務権限の規定化、伝票制度の改善、商品管理を手掛ける。
1932 年
「経営作戦」、「(上野式)商店経営法」、「模範仕入販売法」、「計画経済と管理法」、「テーラー全集」を出版。
1934 年
臨時産業合理局の小売業改善調査委員会の委員を依託される。
1942 年
日本能率学校を設立。海軍功績調査部の嘱託となる。
250万人の功績に関する書類の整理法を指導。
1947 年
日本能率学校夜間部が再開。
GHQの任命により内閣行政調査部顧問に就任のちに人事委員、人事官に就任。
1950 年
産業能率短期大学開校。
1951 年
上野の指導で人事院は、新しい監督者訓練の定型コース(JST)を開発した。
1955 年
インド政府の洪水予防、動力開発の業務指導のためコンサルタントとして国連から要請を受け、インドへ向かう。

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