SANNO SPORTS MANAGEMENT 2014年 Vol.7

SANNO SPORTS MANAGEMENT 2014年 Vol.7 FEATURE「歩みの先へ」


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の受け皿を守りたかった」そこでまず残ったスタッフが行った主な活動は、スポンサーへの報告であった。地元スポンサーは地域スポーツにとって不可欠な存在であるが、チームも被災者だがスポンサーも被災者であるという状態の中で、撤退もやむを得ない状況であったことは想像に難くない。しかし、そこで仙台のスタッフに寄せられたのは、存続してほしいという願いであった。結局、数社は撤退したが、多くのスポンサーが減額したものの継続してくれた。これが復帰への1つの原動力になった。一連のスポンサーへの報告が終わった後、スタッフは地域貢献の道を模索する。「社員のほか幸いチアが残っていたので、被災地を回り、地域活動を行いました」(同川村氏)その頃の記録は地元の新聞各紙で取り上げられ、沈みがちな被災地を元気づけていたことがうかがえる。そうした地道な活動は、具体的な形となって表れることになる。チームの存続を願う20000人を超えるブースターの署名が集まり、コミッショナーに届けられたのである。当初は数千人の規模を予定していたことを考えるとこれは破格の数字といってよい。こうした地域の人々の願いがチーム復活を決定づけた。福島ファイヤーボンズの事例一方、福島ファイヤーボンズは、2014年シーズンからbjリーグに参入し、今季初のシーズンを戦っている。福島は原発の問題もあり、復興がなかなか進んでいない。では、何故そうした状況の中で、プロ・バスケットボールのチームを誕生させたのだろうか。その理由について、福島ファイヤーボンズの宮田代表に率直に伺ったところ、以下のような回答を頂いた。福島の運営母体はFSGカレッジリーグという専門学校を複数運営する会社である。宮田代表によれば、設立のきっかけは、福島が受けた震災の影響が大きな要因となっていることのことであった。震災後、文部科学省などが発表している児童の運動量についてのデータが発表されてみると、福島の児童の運動量の低下が著しく、全国平均を大きく下回るものであったという。もちろん、この低下は震災と無関係ではない。子供を安心して運動させられる場所が減ったことや、汚染の心配から運動を控えているなどといった影響が出ていることが明白であった。そこで、FSGカレッジリーグでは、bjアカデミーが主催しているキッズバスケット、ジュニアバスケットなどの運営や仕組みを福島で実現したいという目的から、教育の一環としてバスケットに関わっていった。このキッズバスケット、ジュニアバスケットの取り組みとは、bjリーグが2008年から実施しているもので、「子どもたちに“楽しく”バスケットボールに触れてもらう」ことを目的として実施されているものである。「世界で活躍する選手を育てる」ことを大きな理念とし、幼児から中学生までを対象としたバスケットボールスクールを展開するとともに、大会運営(bjリーグカップ)や学校訪問(スクールキャラバン)、スキル検定(スキルアップテスト)等を通じてバスケットボールの普及を図るという取り組みである。この事業を福島で展開することが、当初の目的だったのである。「当時はbjのトップチームを立ち上げる予定は全くありませんでした(同宮田氏)」しかし、その後アカデミー事業が軌道に乗り始めたころから、選手による指導や触れ合いの必要性を感じ、最終的にトップチームを立ち上げることになる。教育効果の観点からも、主体となるトップチームが必要となった。このように、教育をきっかけとしてトップチームを作るという経緯は、他のbjチームとは逆のプロセスといってよい。「うちの選手には契約の段階で、こうした教育やアカデミーへの参加についての話をしています。もし、それができないなら契約できないと。だからうちの選手は全員が教室や各種イベントに参加します(同宮田氏)」観客にとって、選手と触れ合える、直接教えてもらえるというのは何よりもうれしいものであることは言うまでもない。そうした設立の経緯もあって、まだ1年目のチームであるが試合会場には子供からお年寄りまで、他の試合会場と比べても多くの世代の人が集まっていることがうかがえる。運動不足に悩む地域の問題に対して、プロ・スポーツがきっかけを作った事例といえよう。今後の課題今回は震災という大きな事件に直面した2つのチームに焦点を当てて、チームと地域との関連について考察した。2つの事例に共通して言えるのは、スポーツは、人々を元気づけ、一体感を醸成出来るパワーを持っているということである。その意味で、プロ・スポーツが地域との関係性を高めていくことは戦略的にも正しい。有力な企業スポンサーとの関係を維持しつつ、徐々にその依存度を低め、バランスの良い体制を保つことが、当面、日本のプロ・スポーツが採るべき戦略である。その意味で、今回の震災は悲しく厳しい出来事であったが、プロ・スポーツにとって教訓を示してくれたともいえる。今回、取材に協力した戴いたチームのほかにも、東北には多くのプロ・チームがある。実際に現場に行ってみると、地元の熱気は非常に強いものであった。そこで今後の課題となるのは、震災で1つになった地元の心をいつまで保ち続けられるのか、その一体感が薄れてきたときにどのようにマネジメントするのかという点である。いずれにせよ、プロ・スポーツが存続していくためには、地元との良好な関係性をいかに維持し、高めていくのかが分水嶺となる。地元の熱を引き出し、かつ冷まさない工夫が必要なのである。(注1)本稿の記述に関しては、両チームの方々にインタビューおよび資料の提供について多大なるご協力を頂いた。特に仙台89ERS川村亜紀氏、福島ファイヤーボンズ代表取締役宮田英治氏にはお忙しい中、インタビューや資料のご提供など様々なご協力を頂いた。ここに謝意を表したい。16


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