SANNO SPORTS MANAGEMENT 2014年 Vol.7

SANNO SPORTS MANAGEMENT 2014年 Vol.7 FEATURE「歩みの先へ」


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04「自分らしさ」の先に産業能率大学サッカー部越智大和インタビュー・文:小野田哲弥、白土由佳4人兄弟の末っ子として生まれ、父や兄たちの背中を追うように自然とサッカーを始めた少年は、今やU-17、18、19と日本代表候補としてゴールを狙うストライカーとなった。そんな彼だが、海外遠征先ではWi-Fiを探し、産業能率大学の試合結果をチェックする愛校心も覗かせる。U-19日本代表候補として、産業能率大学サッカー部エースとして活躍する越智選手は何を考えながら試合に臨んでいるのか、これまでの歩みと、これからのロードマップについて聞いた。シュート練習が好きだった――サッカーを始めたきっかけを教えてください。でいました。プロを間近で見られる場所で、人数が足りない時はユースからも数名参加したりと、技術や体格の差を感じられて、プロを目指す上でとてもいい環境でした。特に僕がFWで、プロとユースが同じフォーメーションということも越智:父が地元の小学生サッカーチームの監督だったことと、男4あって、3年間、佐藤寿人選手から学ぶことばかりでした。人兄弟の末っ子ということもあり、自然とサッカーを始めま試合観戦でも、常に目で追って、学べるだけ学ぼうとしていした。兄たちが皆サッカーをやっていたので、最初はとにかました。周りのレベルが上がるにつれて、当然DFも複雑にく、兄についていきたいという思いが大きかったですね。でなってくるんですけど、やっぱりサッカーって点を取らないも、兄弟それぞれ性格もポジションも全然違っていて、例えと勝てなくて。だから、90分間フルで頭を使い続ける、考ば性格は、長男は真面目なんですけど、次男、三男とやんちゃえ続ける必要性があって、その方法を常に学ぼうとしていまになっていって。今も、家族皆で僕の試合の結果を気にかけした。それ以外にも、身体づくりなど試合以外の場のこともてくれていたりして、サッカー好きな一家です。四国で出会った生涯のライバル知ることが出来て、今でも目標とするプレーヤーの一人です。ユースの仲間にしても、皆プロを目指していることもあってとても上手で、中学までとは生活ががらっと変わりました。周りのレベルが高いからこそ、最初は何より自分を出してい――小・中学時代はどのようにサッカーをしていましたか?くことを頑張っていきました。自分の特徴を知って、それを越智:小・中学校は公立の学校に通っていて、部活動では県大会でか頭を使って。その結果、1年生の頃からスタメンとして試もすぐ負けてしまうこともありました。小学校が終わる時に合に参加できました。自分を出すことに力を入れながら徐々四国代表で呼ばれて、その時に初めて県外の選手と会って。にチームに馴染んでいき、仲間と切磋琢磨していくという毎どう活かしたら試合に勝てるか、そのためにどうすればいい仲良くなった同期では、ドルトムントに行った丸岡満っていう選手がいるんですけど、もう、ずっと一番のライバルで、負けたくないっていう気持ちがあります。お手本はJリーグ得点王経験者――その後、高校ではいかがでしたか?越智:サンフレッチェ広島のユースに入ることになって、提携していた高校に入学しました。サッカー以外の高校生活に関しても、ユースの寮長が厳しいこともあって、真面目に授業に臨ん9


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