SANNO SPORTS MANAGEMENT 2014年 Vol.7

SANNO SPORTS MANAGEMENT 2014年 Vol.7 FEATURE「歩みの先へ」


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03やり続ければ、誰にでもチャンスはある。横浜FC/産業能率大学情報マネジメント学部卒業2014年度サッカー部主将楠元秀真インタビュー・文:小野田哲弥、白土由佳幼い頃から、当たり前のようにボールを蹴っていた。将来の夢はサッカー選手だった。しかし、周りにはいつも、自分よりうまい選手が大勢いた。それでもひたむきに、ただ自分がすべきことを努力し続けた彼はJリーガーとなり、三浦知良選手がJ2戦最年長得点記録を決めたその日、初出場にして初ゴールを決めた。華々しいデビューを自分の足で着実に踏みしめた楠元選手に、これまでの歩みと、その先に目指すものについて聞いた。周りは上手な人ばかり――サッカーを始めたきっかけを教えてください。たんです。だから、小学生の頃からずっとサッカーをやっていますが、途中で、テニスもバスケもやりました。両親とも、スポーツはまったくやらないタイプなんですけどね。もしかしたら、サッカーよりバスケの方が得意だったかもしれ楠元:まず兄がサッカーをやっていて、その影響です。とりあえず、ません。今でも、バスケやってたらどうなってたかなって考兄がやっていることは何でも追いかけてやっていました。えることはあります。腕も長いので、仲間のサッカー選手に2歳違いの兄が小学生で僕が幼稚園の頃に始めました。地域も「おまえ、バスケやれば?!」って冗談で言われたりして。の子供達が集まっている習志野の実籾マリンスターズというチームです。この前も顔を出したんですけど、コーチ陣も変わらずやっていました。僕がいた頃は、先輩にうまい人が大パスをつないでゴールに向かう勢いました。小学1年生や2年生の頃に、5・6年生の人と一――中学、高校ではどのようにサッカーをしていたのでしょうか。緒にやることも多くて、レベルの差を感じていました。周りは上手な人ばかりだなあって。ポジションは昔からずっと楠元:中学も、地域の公立の学校でした。クラブチームと中学の部ディフェンスをやっていました。好きなことをやりなさい――ご両親がサッカーを勧めたのですか?活動とで悩みましたが、兄がクラブチームでやっていたこともあって、同じ道を選びました。ただ、兄と一緒に試合に出ると、あれこれとダメなところを言われたりして、それで泣いたりもしていました。泣き虫だったんですね、僕。目立ついい選手というわけでもなくて、その頃の仲間に「何でおまえがプロになったんだよ」って言われるくらいです。楠元:もともと、好きなことをやりなさいというのが家の教育方針その後、クラブチームのコーチが講師として勤めている敬愛でした。サッカーをやりなさいと言われたわけではなかっ学園高校へ進学しました。クラブチームで教えてもらってい7


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