SANNO SPORTS MANAGEMENT 2012年 Vol.5

SANNO SPORTS MANAGEMENT 2012年 Vol.5 FEATURE「Next Stage」


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FEATURE「NextStage」中村:産能大女子ビーチバレー部は、私たちの代が一期生でアンジェラたちの代が二期生なので、先輩たちがいない中で手探りでやってこなければならない苦労があった反面、自然と「自分が引っ張らなきゃ」という自覚が芽生えていたのだと思います。逆に後輩たちは先輩のノウハウを受け継げる反面、自分たちが中心になるという自覚が薄れるのかもしれないですね。後輩たちがプレイヤーとしてはもちろん、人としても胸を張れるように成長し、大学選手権を何連覇もしてくれることに期待しています。一期生に贈る言葉川合庶産業能率大学女子ビーチバレー部ヘッドコーチかわい・ちかし1965年生まれ。兄・川合俊一氏らとともに日本のビーチバレー界を牽引してきた先駆者の一人。ビーチバレー選手として、1993年FIVB(国際バレーボール連盟)アジアサーキット優勝、1999年ビーチバレージャパン準優勝など数々の輝かしい成績を残し、2001年に現役を引退。湘南ベルマーレビーチバレーチームのゼネラルマネージャーのほか、日本バレーボール協会ビーチバレー強化委員会の副委員長などを歴任し、後進の育成と国策としてのスポーツ強化にも従事する。2007年より現職。――最後に石田選手、在校生代表として先輩たちに一言お願いし確かにゼロからのスタートではあったが、この4年間、ます。私自身は苦労だと感じたことは一度もなく、むしろ達成感の方が大きかった。それは一期生たちが素直に私の指導に石田:ビーチバレー部をゼロから築いた偉大な先輩たちが卒業して付いてきてくれたからに他ならない。だが、彼女たちの方しまうのは寂しいですが、私は国内ツアーで優勝して明香は大変だったはずだ。先輩もおらず、伝統もない中で、そさんに続くことを今年の目標にしています。また彩羅さんがれまでインドアのバレーボールを経験してきたとはいえ、生みの親となった、学生が主体となって『SANNOオープン』まったく別競技といってよいビーチバレーを一から始めなの大会運営をするという企画も、部全体で大切に存続させてければならなかったのだから。いくつもりです。プレイヤーとしてだけでなく、大会運営者入学直後から有名選手とペアを組み、マスコミに注目さとして、そして何よりも人として成長できる産能大女子ビーれ続けた溝江明香のプレッシャーも尋常ではなかったと思チバレー部の良き伝統を引き継き、さらに発展させていけるうが、中村彩羅の成長にも目を見張るものがあった。なぜように頑張ります!2012年8月12日全日本ビーチバレー大学男女選手権大会初優勝で川合コーチと2011年開催のSANNNOオープン学生企画・運営として初めての日本ビーチバレー連盟公式大会になら近年のビーチバレー界ではあまり見かけないタイプの人物に育ってくれたからだ。彼女は自分の選手としての成功以上に「ビーチバレーをもっとメジャーに」という普及・振興を第一に考えられる稀有の存在だ。このように一期生の中から、表舞台の溝江、裏方の中村という出色の2名を輩出できたことを嬉しく思っている。彼女たちの卒業と期を同じくして、ここ数年の日本ビーチバレーを競技として引っ張ってきた朝日健太郎と、人気を支えてきた浅尾美和の両氏が引退した。そういう意味ではビーチバレー界全体が今年、新たなステージに入ったといえるだろう。日本ビーチ文化振興協会の理事長に就職した朝日氏と、今まで以上にタレント活動に力を入れられる浅尾氏には、ぜひ普及・振興面でこれまでお世話になったビーチバレー界に恩返しをしてほしい。そしてそれを中村といった若い人材が運営面で支えていってくれることを願っている。2016年のリオ五輪のビーチバレー日本代表候補には溝江明香と石田アンジェラの2名は当然入ってくるであろうし、2020年五輪の東京招致が成功すれば、メダルを期待する声も高まり、彼女たちのモチベーションをより鼓舞するに違いない。私も産業能率大学の支援のおかげで、優秀な人材をスカウトでき、また大学のコートを利用して各種大会を開催できていることに感謝している。今後も女子ビーチバレー部で一期生に続く人材を育成し、様々な角度から「ビーチバレーは産能大が支えている」と言われる状況を創り出していくことが私の使命だと感じている。8


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