SANNO SPORTS MANAGEMENT 2012年 Vol.5

SANNO SPORTS MANAGEMENT 2012年 Vol.5 FEATURE「Next Stage」


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なって。だから今回は迷いのない信念を持って大会に臨めま中村:年を追うごとに「ビーチバレー=SANNO」という評価がした。――石田選手はいかがですか?定着していくのを肌で感じることができた4年間でした。その中に自分も身を置けて、最後に大学選手権でも優勝できて、本当に満足のいく大学生活でした。川合コーチ(ビーチバレー先駆者の一人・川合庶ヘッドコーチ)や同期の溝江(JBVツアー2010・2011グランドチャンピオンの溝江明香選手)の存在ももちろん大きいですが、部員も増えて、プロも参加するトップツアーに多いときには産能大から4人くらい出場していますし、アマチュア大会ではベスト8に産能大から3チームが入ってシード権を獲得するようにもなりました。でもそういった競技での成績以上に大きいのは、挨拶をはじめ「産能大生は礼儀がしっかりしている」という良い伝統が根づいていることにあると思います。石田:そういう意味では気がかりなこともあります。競技レベルが向上したおかげで、年々優秀な後輩たちも入ってくるようになってきていますが、礼儀がなっていないと感じる場面も増えてきました。ビーチバレーはインドアに比べると個人競技に近い印象を持たれますが、だからこそ、私生活も含めた挨拶などをしっかりして、良好な人間関係を築くことが重要で石田:私は彩羅さんとは違って、中高のインドアでは目立った成績すし、自分が産能大を背負っているくらいの自覚がないと成を残していません。それが背が高い(185cm)という理由長できないと思うからです。ただ自分がそうであったようにで声をかけていただき産能大に入学しました。でも自分に自言葉で注意されても反発を覚えるだけなので、自ら模範とな信が持てなくて「私なんかに日本代表は無理」と思ったし、る行動を取って、態度で引っ張れたらと思います。周囲の期待に応えられない自分が情けなくて2年生のときはビーチバレーをやめたいとまで思いました。ですが、オリンピック出場という高い目標を持って、日々真剣に練習に打ち込んでいる他の選手たちの姿を間近で見たり、話を聞いたりしているうちに、恵まれた環境にいながら悩んでいる自分がどれだけ間違っているかに気づかされました。もっとビーチバレーができることに感謝して真摯に向き合わなければいけないと。3年生で迎えた今回の大会はそういう気持ちの整理がついた後だったので、勝ちに対する意識を彩羅さんと共有することができたのだと思います。後輩に託す夢。先輩への誓い。――中村選手は産能大女子ビーチバレー部の一期生でもありますが、4年間を振り返ってみていかがですか?中村彩羅(写真左)石田アンジェラ(写真右)なかむら・さいら1990年9月5日、茨城県生まれ。小学3年時に全国大会出場、中学では県選抜にも選出。私立大成女子高校時代にはセッターとして春高バレーとインターハイに出場。2009年、産業能率大学に入学し女子ビーチバレー部に入部。同年、新潟国体ビーチバレーで5位入賞。2011年にはJVB(日本ビーチバレー連盟)の公認大会「SANNOオープン」を主宰。2012年には、石田アンジェラ選手と組み、第24回全日本ビーチバレー大学男女選手権大会(ビーチバレー・ジャパン・カレッジ2012)女子の部で優勝。2013年、同大学情報マネジメント学部を卒業し、ビーチバレー普及の夢を叶えるべく広告コンサルティング会社に就職。いしだ・あんじぇら1991年12月31日、東京都生まれ。中学・高校はバレーボール部で活動。2010年、産業能率大学に入学し女子ビーチバレー部に入部。2011年、FIVB(国際バレーボール連盟)ビーチバレージュニア世界選手権で9位入賞(ペアは当時共栄学園高校3年、現産業能率大学2年の鈴木千代選手)。2012年、溝江明香選手(当時産業能率大学4年、現アットホーム株式会社)と組み、アジアユニバーシアード大会で準優勝、ワールドツアーで9位入賞。また中村彩羅選手と組み、第24回全日本ビーチバレー大学男女選手権大会女子の部で優勝。2013年は田中姿子選手(フリー)と組み、5月に行われた国内トッププロの大会JVBツアー東京大会で初優勝。今後のさらなる飛躍が期待される。7


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