SANNO SPORTS MANAGEMENT 2011年 Vol.4

SANNO SPORTS MANAGEMENT 2011年 Vol.4 FEATURE「スポーツは人を育てる」


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はじめにスポーツの持つ機能として、筋力や全身持久力などの身体能力を向上させ、さらには社会性を磨くなどの人間性を向上させる手段として捉えられることがよくあります。それに並行して、教育の分野では、スポーツを側面から支える試合やイベントの運営に携わる活動を通じて、組織化や目標達成に必要とされるマネジメント力やコーチング力を養成するアクティブ・ラーニング(能動的な学習)の1つの手段(ProjectBasedLearning:PBL)として捉えられるようになっています。本学では、2007年から情報マネジメント学部にスポーツマネジメントコースを設置し、スポーツ産業の中で展開されている過去の事例や現状理解からスポーツビジネスやスポーツマネジメントを理解することを基盤とし、スポーツ産業におけるインターンシップやイベント実践などの現場体験を通じて、マネジメント実践力を高めていくことを目的としています。スポーツマネジメントコース科目として用意されている実践的科目の1つである「スポーツ企画プロジェクト」は、横浜ベイスターズ(当時)のファームチーム公式戦を舞台として、球団関係者等の協力により学生が観戦イベントを、企画立案し実践するものです。過去3年間では、「なつやすみのおもいでシーレックスパーク(2010年)」、「スカスタをひとつに(2011年)」をテーマに掲げ活動をしました。(2009年)」、夏だ!楽しもう!また、2009年度からは、ビーチバレーの普及を目的として、学生が実行委員会を組織し、伊勢原・平塚地区の小学生を対象に本学専用コートにてビーチバレー大会を開催する「ビーチバレーフェスタ」が学生教育の場として設定されています。学生達は大会運営をはじめ、大会スポンサー探しやトレーニング講習会の開催など、教職員や連盟・地域関係者と連携し、多岐に亘る活動に取り組んでいます。本特集では、スポーツ企画プロジェクト」や「ビーチバレーフェスタ」の活動に携わった学生(卒業生を含む)が、その後にこれらの体験をどのように捉え、掘り下げ、自己の経験知として落し込んでいるのかを、座談会(2012年2月11日および3月10日に本学にて実施)における発言を通じて検証を行いました。7座談会での主な発言活動を終えて考えたこと「私は企画することが好きでこの活動を始めましたが、自分が楽しいだけではだめなのだということがわかりました。参加者の喜ぶ顔を見ることができて、自分の喜びに変わることが、企画の醍醐味だと思います。」(小城)「企画を進めるにあたって、様々な点から検討を重ねなければならず、自分に足りない部分を補う仲間やネットワークづくりの大切さを学べたと思います。同様に、実施に際しても人をどのように動かしていけば良いかを学べたと思います。」(小城)「私はこの授業をとても楽しみにしていて、他の学生も自分の意気込みと同じだと思ってしまい、途中から孤立してしまいました。今考えると、自分のアイディアを何とか通そうとするばかりで、メンバーが何を考えているかを汲み取ることさえしていなかったと思います。」(内田)座談会「私は、学生がイベント企画に携われることに興味を持ち参加しましたが、実行委員での活動はあまり楽しくありませんでした。それは、リーダーである先輩が何を考え、どこを目指して活動しているのかが全く分からなかったからです。ですから、やる気も失せて、現状打破しようとする気もなくなってしまいました。先輩との関係もそうですが、先生や職員の方との関係づくりも大切な成功するための要因だと思います。」(大城)小城明日香初代「ビーチバレーフェスタ」実行委員長。2011年3月情報マネジメント学部卒業。株式会社千修勤務。「私は、当初は企画がしたいのであって、組織を操ることに興味がある訳ではありませんでした。」(中田)「私たちと球団職員あるいは先生との意見の食い違いが時々ありました。しかし、その時私は特に反論することも違った意見を提案することもできずに、言われるままを受け入れることしかしませんでした。しかし、今となれば相手との接点を見出し、新たな提案ができれば良かったと思っています。」(中田)内田いつき情報マネジメント学部4年。2011年度「スポーツ企画プロジェクト」学生リーダー。大城紫麻情報マネジメント学部3年。2011年度「ビーチバレーフェスタ」学生実行委員。「リーダーが仕事を抱え込みすぎてしまって、なかなか仕事が降りてきませんでした。そのせいで、自分たちのやる仕事が締め切りのギリギリになり、メンバー間の雰囲気もあまり良くありませんでした。今であれば、全員が情報を共有できるような方法を提案するべきであったと思います。」(伊藤)


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