SANNO SPORTS MANAGEMENT 2010年 Vol.3

SANNO SPORTS MANAGEMENT 2010年 Vol.3 FEATURE「湘南から世界へ」


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1)Derrida,J.(1974)OfGrammatology,JohnsHopkinsUniversityPress.2)ゴフマン,E.(2000)「フィールドワークについて」(串田秀也・訳),好井裕明・桜井厚・編『フィールドワークの経験』,せりか書房,pp16-26.ということです。それに対して、「エクリチュール」とは、文章化というプロセスの中で、初めてコンテンツが明確化されることを意味します。「書くべき内容は何か」ということは、それがテキストとして表現されて初めて、書き手にとっても明示的になり、事前に「分かっている」わけではないということです。つまり、「書く」という行為と「思考する」という行為が渾然一体となり、その結果がテキストとして表現される創造的営みが「エクリチュール」という行為です。以上の違いを踏まえると、「サッカーノートを書く」という行為を、「タイプライター型」と「エクリチュール型」という2種類に分類することができます。「タイプライター型サッカーノート」とは、「どこが重要なポイントか」記録された内容が何を意味するのか」といったことが事前に明確であることを前提とした、記録作業を意味します。一方、「エクリチュール型サッカーノート」とは、「今日の試合を振り返ると、この辺りのことが気になるなあ」とは感じているものの、重要なポイントの所在やその意味について事前に認識しているわけではなく、サッカーノートを書く行為を通じて、それらを徐々に明確化していく思考のプロセスを意味します。さて、ここで「サッカーノートを書くことは、練習するのと同様に重要」という言説を、もう一度議論の俎上にのせてみましょう。もしそれが本当ならば、サッカーノートの本質的な意義は、「エクリチュール」という行為にこそ見いだせるのではないでしょうか。そして、「考えるサッカー選手」を育成するためには、「エクリチュール型サッカーノート」の作成を通じて、「明確に意識化できていないことを書く」という行為の意味と意義に対する理解を深める支援を行うと同時に、それを体験的に学習する機会を用意することが求められるはずです。「モレなくダブリなく」の弊害ただし、「エクリチュール型サッカーノート」を作成するのはけっして簡単なことではありません。何故ならば、それは私たちの被教育体験の中にある「ノート・テーキング」とは全く異なるものだからです。学校的場面において、「ノート・テーキング」といえば、「教員が黒板に書いた板書内容を書き写すこと」をイメージする場合がほとんどです。これは明らかに「タイプライター型」の機械的作業であり、「自分の考えをまとめる」「講義を聞いての気づきを書き留める」といった創造的な行為は含まれていません。そのため、サッカー選手だけでなく、私たちのほとんどが「エクリチュール型」の記述に不慣れで、いざチャレンジしようとしても、どうしていいか分からず途方に暮れてしまうものです。では、この難問をどうすれば克服できるのでしょうか。この点について、社会学者ゴフマンが興味深い指摘をしています。「私たちは、奇妙なトレーニングを受けてきたせいで、無駄も隙もない文章、つまりヘミングウェイ調の無駄も隙もない散文でできた文章を書こうとうする傾向にあります。これをしたら最悪です。・・・・・「私はこう感じた」と書く場合には、その作業に精力を傾けているかぎり、できるだけ饒舌に、できるだけだらだらと書きなさい。・・・・・饒舌で副詞に満ちたその散文がいかにだらだらしたものであろうと、それは依然として、少数の言葉で書かれた「分別ある文章」に凝縮された資料よりも、より豊かな母資料なのです」2)ゴフマンが指摘しているのは、「無駄がなく、簡潔な文章」に固執することの弊害です。今日のビジネスにおいて、「モレなくダブリなく(MECE:MutuallyExclusiveandCollectivelyExhaustive)」、つまり簡潔で論理的である文章を書くべきという考え方は当然のことと認識されています。このような認識の広がりは、「ロジカルシンキング」が重要なビジネス・スキルとして盛んに取り上げられ、書店には「論理的思考」についての実用書が氾濫していることからも知ることができます。ただし、MECEとは「タイプライター型」を前提とした文章化作法である点に注意すべきです。サッカーノートが「エクリチュール」を意図したもので、出来上がったノートが「無駄なく、簡潔な文章」であることより、記述プロセスの中で「考えること」を重視する以上、いわゆるMECE型の文章作法は不要なだけでなく、本来的な目的にとって妨げともなってしまします。この点を踏まえると、MECE型文章作法」を一旦脇に置いて、「できるだけ饒舌に、できるだけだらだらと書く」といったスタイルに慣れることがエクリチュールに取り組む第一歩だと言えるでしょう。サッカーノート作成を通じた「考える力」の醸成以上の点を踏まえた上で、2010年度のワークショップでは、「サッカーノートの作成を通じた、考える力の醸成」に取り組んできました。ワークショップの開始当初は、「エクリチュール型サッカーノート」に戸惑いをみせた選手たちも少なくありませんでしたが、合計12回のワークショップを修了する頃には、テキスト化というプロセスの中での省察的学習の実践について、多くの選手たちの成長する姿を見ることができました。ワークショプの中で、「機械的に事実を書くのではなく、自分が経験したことを整理した上で、自分にとっての気づきを記述する」という一連の流れを繰り返し経験してきた若い選手たちには、徐々にではありますが、「経験の省察から学ぶ姿勢」が芽生えつつあるように感じています。そして、その成果が必ずや発揮されるであろう秋のリーグ戦を、今からとても楽しみにしています。学び、成長し続ける若い選手たちの健闘を祈りつつ、私も先に進んでいきたいと思います。12


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