SANNO SPORTS MANAGEMENT 2010年 Vol.3

SANNO SPORTS MANAGEMENT 2010年 Vol.3 FEATURE「湘南から世界へ」


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「スポーツ分野にマネジメントを適用する」という理念のもと、産業能率大学スポーツマネジメント研究所は「考えるサッカー選手の育成支援」に取り組んできました。その際、私が強く意識してきたのは、ビジネス分野における人材育成研究の知見をいち早く取り込み、スポーツ人材育成に役立てることです。2009年度の活動では、近年のビジネスで注目を集める「対話的な学び」を積極的に導入したワークショップを実施し、「指導=教える」という古い教育観をスポーツ人材育成から払拭することにチャレンジしてきました。そして現在、ワークショップに参加してきた若い選手たちの中に、マジメで楽しい対話的学び」のスタイルが徐々に浸透しています。では、次にチャレンジすべきことは何でしょうか。私が選んだテーマは「エクリチュール(=書くということ)」です。哲学者デリダが用いたこの概念が、スポーツ人材育成とどう関係しているのでしょうか。「サッカーノート」を書く意味についての考察を通じて、考えてみたいと思います。サッカーノートへの注目の陰に2010年、FIFAワールドカップ日本代表の本田圭佑選手が長年つけてきた「サッカーノート」のニュースが、南アフリカ大会での彼の活躍とともに、多くのサッカー関係者に知れ渡りました。そして、選手として成長するためにサッカーノートが効果的であるという言説が広まり、現在ウェブを検索すれば、「サッカーノートの書き方」といった多くの情報を見いだすことができます。もちろん、サッカーノートに対する意識が高まるのは非常に好ましいことです。でも、ウェブ上に見られる情報の中に、選手の役に立つと思われるものはあまりありません。例えば、「サッカーノートの書き方」について見てみると、「体調、練習内容について客観的に記録する」ということを挙げているだけのサイトがほとんどです。これは明らかに「内容」であり、書き方」ではありません。また、客観的に記録する」ことがどのような意味で重要かについて言及しているサイトを、私は目にしたことがありません。その意義に関しては、多くの場合、「サッカーノートを書くことは、練習するのと同様に重要である」ということしか述べられていません。おそらく、この状況は「サッカーノートを書くことは難しい行為ではない」という認識を反映しています。確かに、「体調、練習内容についての客観的記録」がサッカーノートならば、さほど難しいことではないでしょう。でも、単なる「客観的な記録」が「練習するのと同様に重要」というのは、どうにも腑に落ちません。「サッカーノートを書くことは、練習するのと同様に重要」ならば、その真の意義はどこにあるのでしょうか。「書く」ことは「思考する」こと「考えるサッカー選手の育成」という視点にたてば、サッカーノートの意義が考える力を醸成することにあると言うことができます。そして、この見方の背景には、ポスト構造主義哲学者のジャック・デリダ1)が用いた「エクリチュール」という概念があります。専門家からの批判を恐れず、大胆にもこの概念を一言で言ってしまえば、「書くことは思考すること」という考え方です。通常、「書く」という行為において、「テキスト化する内容は、すでに明確になっている」ことが前提とされます。つまり、書き手の頭の中にすでに存在するコンテンツを、テキストという別のモードに変換する作業が「書く」ことだと理解されています。例えて言うなら、下書きされた原稿をタイプライターで清書するようなものだエクリチュールとしてのサッカーノートー考える力を醸成する脱MECE型ライティングのすすめー長岡健法政大学経営学部教授(2011年3月までスポーツマネジメント研究所研究員)0511


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