SANNO SPORTS MANAGEMENT 2009年 Vol.2

SANNO SPORTS MANAGEMENT 2009年 Vol.2 FEATURE「産業能率大学 collaboration with 湘南ベルマーレ」


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湘南ベルマーレの歴史と理念絶頂から存亡の危機へ1998年。この年は湘南ベルマーレにとって、天国と地獄、その両方を味わった年として記憶されている。湘南ベルマーレは、現解説者のセルジオ越後氏も所属していた藤和不動産サッカー部を前身とした名門チームである。Jリーグ発足の翌年(1994年)に「ベルマーレ平塚」として、現在でいうJ1に昇格すると、1年目にして天皇杯を制し、翌95年にはアジアカップウィナーズ選手権で優勝するというシンデレラストーリーはよく知られている。そして、ベルマーレ平塚がいかに人気と実力とを兼ね備えたクラブであったかは、1998年のワールドカップ(フランス大会)に、日本代表として中田英寿選手・小島伸幸選手・呂比須ワグナー選手、韓国代表として洪明甫選手という、1チーム内から計4選手を輩出した華々しい歴史が物語っている。しかし同じ1998年の10月、横浜フリューゲルスが事実上消滅するとの報道が流れ、11月にはベルマーレ平塚の親会社である株式会社フジタも資本撤退を表明する。サポーターの熱い支援に支えられ、なんとか翌99年を存続or消滅判断のための猶予期間として得たベルマーレ平塚ではあったが、予算を20億円規模から10億円規模へと半減せざるをえない現実が重くのしかかる。結果、主力選手を全員放出させてのJ1最下位。すなわち、それから11年続くことになるJ2への降格がここに決定したのである。「ファースト&オンリーワン」の背景Jリーグに所属する現37チーム(J118チーム、J219チーム)の中には、「人口10万人を切る町から優勝争いをするチームができた」あるいは「親会社のない市民クラブとしてよく頑張っている」と語られるチームが少なくない。それらのクラブチームによるマネジメントにも素晴らしいものがあるが、ベルマーレ平塚はどのチームとも違う背景をもち、それゆえに、より強い理念の追求と、独自のマネジメントスタイルが生み出されることとなった。小さな町のホームタウンは、企業城下町であることが多い。また政令指定都市をホームとする市民クラブも、日韓ワールドカップの誘致時に、県や市が大型のスタジアムを建設するなど、行政の手厚い保護を受けているケースが少なくない。一方のベルマーレ平塚は、親会社は撤退し、また東京・横浜に近いため、競合する娯楽も多いという条件が重なってしまった。2000年にチーム名を「湘南ベルマーレ」に改称し、ホームタウンを7市3町(厚木、伊勢原、小田原、茅ヶ崎、秦野、平塚、藤沢、大磯、二宮、寒川)に拡大して誕生した“新生”ベルマーレは、そのような困難な条件だからこそ、『Jリーグ百年構想※』の理念にのっとり、真の意味でのスポーツ文化の醸成に寄与すべく、大企業依存・行政依存から脱却した新たなマネジメントを目指し、またどのチームにも先駆けて、それを展開しているのである。そしてその目玉の一つが、全国初となる大学機関との提携、すなわち産業能率大学とのコラボレーションに他ならない。※…『Jリーグ百年構想』•あなたの町に、緑の芝生におおわれた広場やスポーツ施設をつくること。•サッカーに限らず、あなたがやりたい競技を楽しめるスポーツクラブをつくること。•「観る」「する」「参加する」。スポーツを通して世代を超えた触れあいの輪を広げること。MANAGEMENTSPORTSスポーツというテーマをマネジメントの視点から理解する実学の場。マネジメントにおけるコラボレーション025


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