SANNO SPORTS MANAGEMENT 2008年 Vol.1

SANNO SPORTS MANAGEMENT 2008年 Vol.1 FEATURE「ビーチバレー」


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第1回ビーチバレージャパンの開催された1987年が、日本における「ビーチバレー元年」とされている。そのように考えると、日本のビーチバレーは今年(2009)でまだ22年目を迎えたばかりであり、ビーチバレーを人間に例えるならば、やっと二十歳を過ぎた、大学を卒業する程度の年齢でしかなく、非常に歴史の浅いスポーツだといえる。以前私がコーチを務めていた浅尾美和選手が「ビーチの妖精」として注目され、菅山かおる選手のビーチバレー転向が話題を集める今日、確かにビーチバレーへの注目度は、日に日に高まりを見せている。しかし、意外に思われるかもしれないが、第1回ビーチバレージャパンの盛況を、今なお追い越すことができていないのが実状である。1987年に行われたその大会は、コートの四方を4,000人収容の仮設スタンドで囲むという、バブル期を象徴するようなビッグイベントであった。さらに驚くべきは、それほどの巨大スタンドを用意してもなお、入場しきれないファンが長蛇の列を作り、1日2回の入れ替えを行って、連日12,000人の大観衆が会場に詰めかけたという事実である。なぜそれほどまでの集客が可能だったのか。それは、当時の男子バレーボール日本代表チームのキャプテン・川合俊一選手をはじめとする、多くの日本代表選手が大会に参加したからである。その意味で第1回ビーチバレージャパンとは、当時、人気の高かった男子バレーボール日本代表チームの「ファン感謝祭」という側面が強かったといえるかもしれない。この日本でのビーチバレー誕生の歴史的イベントが物語るように、ビーチバレーは、それに先行するバレーボールとの関係を抜きにしては語ることができない。バレーボールは1964年の東京オリンピック以来の歴史を持つオリンピック正式種目であるが、ビーチバレーはバルセロナオリンピック(1992)で公開競技に、アトランタオリンピック(1996)ではじめて正式種目となった新しい競技である。この点だけを見ても、実に30年ほどの蓄積の違いがある。第1回ビーチバレージャパンの3年後の1990年、その第1回大会の優勝者でもある川合俊一選手が、27歳の若さでビーチバレーへの転向を宣言した。そして、彼がロサンゼルスに活動拠点を移してアメリカのプロツアーに参戦したことは、各メディアで報じられた。しかし、その先駆的行動への注視とは裏腹に、一般の人々への普及には、多くの課題を抱えていて、今なおその課題が山積しているのが、日本におけるビーチバレーの正しい現状認識だと思われる。このたび“マネジメント”で知られる産業能率大学から研究員として招かれたことを受け、これまでの国内ビーチバレーの歩みを振り返り、現在抱えている課題を整理し、将来に向けた方策について、以下に論じてみたい。ChikashiKAWAIビーチバレーに興味を持つ人口をいかに増やしていくかが今後の焦点日本のビーチバレーが今後進む道-3要素から見たマネジメントの課題-川合庶日本バレーボール協会ビーチバレー強化委員会副委員長/産業能率大学女子ビーチバレー部ヘッドコーチ025


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