SANNO SPORTS MANAGEMENT 2010年 Vol.3

SANNO SPORTS MANAGEMENT 2010年 Vol.3 FEATURE「湘南から世界へ」


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世界標準に日本らしさを加えろ!川合庶産業能率大学女子ビーチバレー部ヘッドコーチかわい・ちかし1965年生まれ。兄・俊一とともに日本のビーチバレー界を牽引してきた先駆者の一人。1993年にアジアサーキット優勝、1999年にビーチバレージャパン準優勝。2001年の現役引退後も湘南ベルマーレビーチバレーチームのGMなどを歴任し、後進の育成にあたる。2007年より現職。◆高校時代の溝江を見て、その高い身体能力と運動センスに惹かれてスカウトしたが、まさかこんなに早くオリンピック出場を目指せる位置に来るとは思いも寄らなかった。嬉しい誤算だ。しかし、無条件で出場資格の得られる<世界ランク16位>に入るのは、今の段階ではまだ厳しい。したがって現実的には<アジア大陸枠>での出場を目指すことになるだろう。狙うは「アジアNo.1」だ。アジアNo.1になるためには、世界標準のパワーや瞬発力を身につけるといった、フィジカル面の強化は言うに及ばない。それに加えて、身長差などの如何ともしがたい部分をどう補うかがより重要な課題となってくる。日本バレーの伝統は、「団結力・創意工夫・粘り強さ」であり、それはインドアもビーチバレーも変わりがない。パートナーとの意思疎通を忘れず、頭をフル回転して独自の技術を開発し、諦めずに喰らいつくプレーを維持できれば、必ずや勝機を攫めると確信する。世界一が相手でも、勝てるチャンスはある田中姿子プロビーチバレー選手(エコ計画)たなか・しなこ1975年生まれ。バレーボール選手として日立ベルフィーユやNECレッドロケッツ、さらにロシアのディナモ・モスクワで活躍。2001年から2002年にかけ、日本代表(全日本選手)として世界選手権に出場した経歴をもつ。2004年にビーチバレーに転向し、2006年のドーハ・アジア大会では銀メダルを獲得。◆世界的に見ても女子ビーチバレーで飛び抜けた選手はいないように思う。実際に小泉(栄子)さんと組んでいたときには、現在世界ランク1位の中国ペアに勝ったこともある。だから基本的なレベルを上げ、細かい精度を詰め、頭を使って相手チームの癖や、当日の調子などを瞬時に見抜くことができれば、どのペアが相手でも勝てる可能性はあると思う。去年(2010年)新しいペアを探すとき、他の選手と組むことはまったく考えなかった。まだまだ成長しそうな明香と組むことがチームとしての“のびしろ”が最も多いと感じたからだ。たとえば明香がこれまで決め切れなかったスパイクを決められるようになるといった、本当に小さな技術の向上で、一気に上位に上がれるのがこの世界。明香とは常に、ワールドツアーの本戦で一戦でも多く勝つことを目標にしたい。その意識を保っていけば、おのずとロンドン五輪出場という大きな目標の達成も見えてくる。夢想ではない将来ビジョン――オリンピック出場を夢見ているスポーツ選手は多いと思います。有力バレーボール選手のインドアからの転向についてはどう感じますか?溝江:世界で勝つためには大きな選手と対戦した方がいいので歓迎です。ただ消極的な考えでインドアから来るというのは良くないと思います。本気で“ビーチバレーにすべてを賭ける”ペアが増えて、真剣勝負で切磋琢磨していけたら、もっと国内のレベルも上がると思っています。――最後に「オリンピックでのメダル獲得」という最終目標に向けた将来設計をお持ちでしたらお願いします。溝江:40歳を過ぎて現役で活躍するトップ選手もいます。私は35歳になるまでで考えても、22、26、30、34歳と4回オリンピック出場のチャンスがあります。ビーチバレーは引き出しが多い方が勝つ競技なので、経験でどんどん吸収して、相手の癖を即座に見抜き、裏を突くようなプレーをもっとできるようになりたいです。それに加えて、1試合を通じてジャンプサーブを打ち続け、どんな状況でもスパイクが打てるように、フィジカル面も強化したいです。その総合的なピークを30歳の時に持ってくるイメージで、技術と体力を磨いていきたいと思っています。――今年の活躍、そして夢への第一歩としてのロンドン五輪出場、期待しています。溝江:はい、頑張ります!インタビュー後記これまでインドアからの転向者が一般的だったビーチバレー界に、高校卒業時点で純粋な競技者として本格参戦した溝江選手は、先人なき地に果敢に飛び込んだ開拓者(パイオニア)といえるだろう。しかし確固たる信念を持って自らをマネジメントし、前例なき苦難を一つ一つ乗り越え日々成長を遂げていることを肌で感じた。夢は確かに大きい。だが最後に口にした「30歳の時に集大成」という言葉に、性急でも先送りでもない、地に足の着いた問題解決姿勢が窺える。「周りの人に感謝することを忘れてはいけない」という母の教えを絶対に守りたいと語っていた溝江選手。日本代表に相応しい謙虚さと礼節を保ちながら、オリンピックの舞台でアグレッシブなプレーを見せてくれる日が待ち遠しい。溝江選手へのエール(2011年2月3日、産業能率大学湘南キャンパスにて)5FEATURE「湘南から世界へ」


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