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リレーエッセイ 2021.08

中村 光延 (Mitsunobu Nakamura)
<担当科目>
「経営戦略論」 「経営管理会計」 他

<趣味>
体を動かすこと(体力維持のため)

<メッセージ>
皆さん方一人一人、様々な目的をもって入学されたと思います。
それぞれの目的に共通していることは、卒業するころ、または将来、「こうなり(なってい)たい」という何らかのありたい姿があって、それを実現したいということではないでしょうか。つまり、今の状態から変わりたい、成長したいということになりますね。自ら変化、成長を求めて行動する人は、とても素晴らしい方々だと思います。そんな皆さん方とスクーリングでお会いできることを楽しみにしています。

「戦略」と私の大学生活

皆さん、こんにちは。

私の回は、担当科目の1つである「経営戦略論」の「戦略」という言葉とともに、私の大学生生活を振り返ってみたいと思います。

戦略の定義は本当にたくさんありますが、本エッセイでは、
「戦略とは目的を達成するための施策、道筋、手段」という定義を用いたいと思います。
最後のほうに再度この定義が出てきますので、覚えておいてください。

それでは、少し長くなりますが、まずは大学生になるまでの私の子供のころのお話にお付き合いください。(私の社会に出るまでのプロフィール代わりでもあります)

野球好きの父親が、男の子が生まれたら、どうしても野球をさせたかったようで、私が産まれてくるときには硬式の野球ボールを母の枕元に置いていたそうです。
よって、物心がついたころには本人の意思とは関係なく、野球漬けの生活でした。

小学校に上がると町内会のソフトボールチームに入り(れられ)、3年生になると硬式野球のリトルリーグに入り(れられ)当時は子供が多く、初めての背番号が3桁の116番。
3桁の背番号が子供ながらも恥ずかしく、真夏でもウインドブレーカーを着ていた記憶があります。リトルリーグの最終学年は、一応キャプテンでした。

その後、中学生になると小学生の時と同様に硬式野球のシニアリーグに入り(れられ)ました。
シニアリーグは当時強豪といわれていて、日本一にもなっていたチームでしたが、私の代は人材不足だったのか、シニアリーグでも最終学年はキャプテンでした。よって、残念ながら、最終学年の時は名古屋から以西の西日本地域での優勝に終わりました。

中学生時代は野球が普通の人よりはできる方だったので(野球しか取り柄がなかったとも言えます…)、高校は野球の特待生として進学し(させられ)ました。
(進学した高校は誰もが知るような超有名校ではないのですが、現時点では春夏ともに13回、合計26回甲子園に出場しています)

ここまで書くと野球エリートに見えるかもしれませんね。
ただ、全くそんなことはなく、小学校のリトルリーグの入団テストではバットにボールが当たらず、お情け入団だったと思います・・・。
シニアリーグも近隣のいろいろなリトルリーグから実力のある子供たちが集まるので、最終学年の時になんとかベンチ入りできれば、ラッキーくらいの感じでした。

そんな野球漬けの生活も高校で大きく変わってしまいます。
私と同年代、それ以上の方であれば、本当によくご理解いただけると思うのですが、今では考えられないような上下関係が当たり前の時代でした。高校生活は寮生活でもあったので、尚更でした。

何よりつらかったのは、当時は非科学的な根性論もまだ残っていたころなので、一年生は練習中どころか寮生活の中でも水分をとることができないことでした。もちろん上級生に見つからないように隠れて水分はとるのですが、それでも夏場に脱水症で全身けいれんを起こして、2回救急車で運ばれたこともありました。

そんな生活は長くは続かず、根性のなさが主な原因なのですが、先輩の「指導(?)」にも体が悲鳴を上げてしまい、結果的にドクターストップとなり、野球をやめることになりました。

当時全校生徒の15%位が何らかの運動部で全国大会に出場するような学校でしたので、
大学に行く人はクラブ活動の実績で進学する人ばかりで、勉強で大学に行く人などは極々少数だったと思います。
また、高校の授業自体、大学受験を前提としているものではありませんでした。
野球をやめたので、受験勉強をして大学に行きたいと担任の先生に伝えたときは苦笑いをされたのを覚えています・・・。

よって、高校卒業後、当たり前のことながら浪人生活に入ります。
高校卒業時は義務教育の知識レベルも怪しく中学校レベルからのやり直しでしたので、予備校に通っても授業内容が理解できないということで、自分で参考書を買ってきて解くという自宅浪人でした。
もちろん「自宅浪人」という社会的な位置づけはなく、実態は「住所固定、無職」です。
身分証明書は原付の免許証だけでした・・・。

その後、2年間の自宅浪人を経て、成人式には出席することもなく成人になってから、なんとか大学生になりました。

さて、前置きが長くなりましたが、ここからが本題の「戦略」と大学生活です。
折角、成人してから大学に入学できたのに、良い学生ではありませんでした。
アルバイトに明け暮れて、授業の記憶よりもアルバイトと友人と遊んだ記憶ばかりです。
現在、教員という立場にある人間が、とてもではありませんがここには記せないような学生生活でした。
どれほどいい加減な学生であったかは、過去に出身大学の広報誌のインタビューに答えたものが、出身大学のHP内にアーカイブとして残っていますので、モノ好きな方は探してみてください。(大学公認のいい加減な学生であったと勝手に思っています)

今から考えてみると、両親の理解もあり2浪の末に手に入れた大学生活なのに、本当にもったいない4年間を過ごしたと思います。
どうして折角の大学生活を残念な4年間にしてしまったのか、今振り返ってみますと、私の大学に通う目的は「大学を4年間で卒業すること」であったと思います。

つまり私の大学での学生生活は、卒業するために最小限の労力で必要な単位を取るということに最大限の努力をしていたのです。
言い換えれば、私の大学での学生生活の戦略は最小限の労力で卒業に必要な単位を取ることでした。
戦略としては「大学を卒業する」という目的達成の施策、道筋、手段として、しっかり(?)と遂行できたのかもしれませんが、今振り返りますと目的自体が悪すぎたわけですね。

そこで、もう一度、
「戦略とは目的を達成するための施策、道筋、手段」と冒頭で定義づけました。
皆さん方も本学に入学する際、様々な目的をもって入学されたと思います。
その初志を忘れず、せっかくの学生生活です。私のように卒業することが目的の学生生活を送る方はいないと信じていますが、様々な先生方が皆さんに多岐にわたる知見を提供してくださると思いますので、その知見を吸収し、ぜひ目的的な戦略的学生生活を送ってください。
学生生活に疲れた時、ぜひ、入学する目的は何であったのかを思い出してみてください。

私も微力ではありますが、皆さんの学生生活が戦略的に充実したものになるよう、スクーリングなどを通じてお手伝いしたいと思います。
単位を取得し、学位を得て卒業することも大変なことですが、さらに志の高い目的をもって戦略的な学生生活を送っておられる皆さんとスクーリングでお会いできることを楽しみにしています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。