SANNO SPORTS MANAGEMENT 2010年 Vol.3

SANNO SPORTS MANAGEMENT 2010年 Vol.3 FEATURE「湘南から世界へ」


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「オリンピックでのメダル獲得」が夢――昨年はJBVツアーでのグランドチャンピオン、おめでとうございます。今年はディフェンディングチャンピオンとして、どのペアからもライバル視されて大変なシーズンになりますね。溝江:ありがとうございます。でも、JBVツアーのレベルが上がること自体は歓迎です。特に外国人選手にはもっと参加してほしいですね。ルール上は海外チームもエントリーできるのに、これまでのところ、知られていないのか、あまり参加者がいません。私たちが優勝できるかどうかよりも、より高いレベルの試合経験ができる方が大事だと思っています。――なるほど。国内優勝よりももっと高次の目標があるということでしょうか。昨年は日本代表としてアジア大会にも出場されましたが、その経験はいかがでしたか?溝江:実際に日の丸を背負ってみて、“勝ちたい”じゃなくて“勝たなきゃダメ”くらいの重みを感じました。私のプレーだけでなく行動などを見て、海外選手やメディアは「日本人はこういう2012年のロンドンオリンピックを目前に控え、熾烈な闘いが本格化してきた女子ビーチバレー。その中にあってオリンピック日本代表候補の筆頭に挙げられるのが、田中姿子&溝江明香ペアである。昨年、経験豊富な田中姿子選手とパートナーを組んで日本最高峰であるJBVツアーを制し、新人賞にも輝いた“期待の新星”溝江明香選手に話を聞いた。ものだ」と捉えてしまうので、それだけの責任を負っていると思います。ただその一方で、代表になった時点で満足するという気持ちはないです。もちろん日本代表に選ばれることはすごく光栄なことですが、それを目標にやっていないので。目標はあくまで、オリンピックに出てメダルを獲得することです。夢に賭ける決心――小さい頃からオリンピック出場が夢だったのでしょうか?溝江:もともと海外に興味はありましたが、小さな頃の夢は外国に行って日本語教師なりたいといったものでした。高校時代もインドアで春高を目指してはいましたが、東京都大会で負けてしまい、とてもオリンピック出場を目指すなんて立場にはありませんでした。――では、いつ頃から意識するようになったのでしょうか?溝江:産業能率大学に入学を決めた時ですね。高3の夏にマドンナカップ※1で優勝した時「意外と打てるもんだな」とは感じましたが、川合俊一さんと庶さんに「ビーチバレーは経験が物を言う競技なのに、若い頃から本格的に始める選手は日本にはまだいない。平塚※2も近く、学内にコートがある産能大ならオリンピックを本気で狙える」と言われて、私も本気で意識するようになりました。他の人にはないチャンスが自分にあるんだったら、見逃すより溝江明香選手みぞえ・さやか1990年7月16日、東京都生まれ。都立駒場高校出身。2009年産業能率大学入学、現情報マネジメント学部3年生。産業能率大学女子ビーチバレー部員。JBVツアー2010女子グランドチャンピオン。好きな食べ物は刺身とチョコレート。女子ビーチバレー溝江明香選手インタビュー※1「マドンナカップ」…「ビーチバレージャパン女子ジュニア選手権大会」の通称。夏目漱石の小説『坊ちゃん』の舞台・愛媛県で開催される大会のため、ヒロインの名前に因んでこう呼ばれる。※2「平塚」…湘南ひらつかビーチは、我が国においてビーチバレーが最も盛んに行われている海岸の一つであり、オリンピック出場選手の多くも平塚を拠点に活動してきた歴史がある。SayakaMIZOE「何を犠牲にしてでもビーチバレー」そのくらい覚悟がなければ出場できないそれがオリンピックゆずれない夢に向かってインタビュー・文:小野田哲弥013


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