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第5回 「プロデューサーの重要性を痛感!!」

リレーエッセイ 第5回

「プロデューサーの重要性を痛感!!」 情報マネジメント学部准教授 柴田 匡啓

ヨコハマ国際映像祭が、2009.10.31~11.29の30日間の会期を終え閉幕しました。私の3年次専門ゼミでは、サポートクルー(ボランティア)として12名全員が参加し、行政主催のイベントというものを生で体験することができました。その中には、かなり積極的に活動し、映像祭には欠かせない役割を果たした学生もおりました。

[写真]ヨコハマ国際映像祭会場

ヨコハマ国際映像祭は、「クリエイティブシティ(映像文化都市)」としての横浜を国内外に発信するための3つのイベントの1つ(他はY150の後10月の「INTO ANIMATION 5」、12月の「SIGGRAPH ASIA」)として、国内外からの71組のアーティストの映像作品を展示・上映しました。インターネット等で動画や映像が氾濫している昨今に、アートとしての映像をどのように表現するか、どんな新しいメッセージを伝えるかはとても難しいと思いますが、アートに造詣の深くない私が見る限りでも、とても興味深い作品がたくさんあり(特にクリスチャン・マークレイや、アルフレッド・ジャー)、アーティストを選考したディレクターのセンスが感じられました。
さて、素人が作品のクオリティについて語ったところで意味がないと思うので、ここからはコンテンツビジネスとしての視点で見ていきたいと思います。この映像祭の総予算は2億円で、そのうち1億2,000万円は横浜市が負担しています。この他3,000万円は企業等からの協賛金で賄われており、残りの5,000万円を入場料収入での回収を見込んでいました。当初の計画では、入場者数を12万人としていました。入場料が大人一人当たり前売り1,000円、当日1,300円ですから、平均1,150円として1億3,800万円。しかし、会期直前に予想入場者数は4万人となり、最終的に有料会場延べ入場者数は26,000人、有料での累積入場者数は、1万人弱となりました。1万人全員が前売りチケットの購入者だけだとして1,000万円(学生はもっと安い設定なので、これを下回るかもしれません)、1万人全員がパスポートだとしても2,500万円となり、この映像祭を事業としてとらえると、大変な赤字となります。

[画像]入場料金表

2008年までの3年間は、この映像祭の前身ともいえる「EIZONE」という6日間のイベントがあったのですが、この入場者数は、2007年には延べで3万5千人いたようです。30日間と6日間という会期日程を考えると、その差は歴然としています。
サポートクルーとして、映像祭を盛り上げる活動をしていたわけですから、このような結果になったことは大変残念ですが、調べてみると、行政主催の数々のイベントで、コンテンツビジネスでいうところの「リクープ」、つまり出資したお金に対して、収入が上回るケースが極端に少ないことがわかってきました。今回の映像祭については、その原因についていろいろ言われていますが、朝日新聞神奈川版の11月18日の記事では、

「出品作が現代美術に限られた原因はディレクターを選んだ市にある。不入りの原因は見せる工夫の不足だろう。現代美術=難解、という印象が残れば、観客と作家の双方にマイナスになる。作家がなぜこのように作ったか、一般の人の疑問に答える視点が必要ではないか。」

と、ディレクターである住友文彦氏が難解な現代美術に限られた作品を集めたことと、そのディレクターを選んだ横浜市に原因があると述べられています。
果たしてそうでしょうか?
私は、「プロデューサーの不在」に根本原因があると思います。コンテンツビジネスでは、「ディレクター」と「プロデューサー」の役割は明確に区別しています。「ディレクター」は作品の品質に責任を持つ人であり、「プロデューサー」はビジネスとしての全体責任を持つ人を指します。つまり、プロデューサーは、QCD(品質、コスト、納期)ばかりか、収益に対しても責任を持つことになります。

[写真]ヨコハマ国際映像祭ポスター

この映像祭での住友氏は、名実ともに「ディレクター」であり、「Deep Images」というコンセプトのもと、世界中からアーティストを集めるために奔走し、展示場のデザインからそれにかかるコスト面までを10カ月という常識では考えられないハードなスケジュールの中で、確実に成し遂げてきました。住友さんの公式コメントによれば、仕事を受けた当初から、純粋な「ディレクター」なのか、「プロデューサー(美術系ではアドミニストレーションに近い)」的な役割も担うのかがあいまいであり、住友氏としてはアドミニストレーションに近い立ち位置でも構わないというスタンスで仕事に臨んでいたようです。ただ、横浜市の事業である限りは、意思決定は市が行うわけですから、住友氏にはプロデューサーとしての決裁権限は無かったことになります。
これはビジネスとしては非常に危険なことです。通常は会社の経営と同様、意思決定権限を持つ人が責任を負うのが当たり前です。例えば、中小企業の社長であれば、会社の利益・拡大・存続等のための意思決定が日々の仕事であり、その意思決定のための情報はあらゆるところから集めることが可能で、予算に関する決裁権限も持っています。その代わり、事業の失敗は取締役として責任を取ることになるのです。その「社長」の役割を「プロデューサー」は担うことになるのです。
今回の映像祭は、もちろんビジネスの側面よりも文化振興の意味が強く、興行的な成功は求められてはいなかったかもしれませんが、今後は、行政としての責任が求められていくでしょう。

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