産業能率大学

創立者 上野陽一 -日本にマネジメントを導入した「能率の父」-

上野陽一

創立者 上野陽一

本学の創立者上野陽一(1883~1957)は、心理学研究から産業能率、科学的管理法の研究者となり、その業績から「能率の父」と称されています。さらにアメリカからマネジメント思想と技術を導入、産業界に紹介し、日本最初のマネジメント・コンサルタントとなった人物です。

戦後は人事院人事官として公務員制度の確立に努める一方、1950年産業能率短期大学を設立し、経営近代化に大きな影響を及ぼしました。
また、欧州・米国においても「The Golden Book of Management」に紹介されるなど心理学・マネジメント学界において広くその名を知られ、特にF.W.テーラーの科学的管理法と東洋思想を融合した能率哲学は、大きな賞賛を受けています。

本学の自由が丘キャンパスにある産能短期大学図書館には上野陽一記念文庫があり、こちらには上野陽一が書いた多くの書籍をはじめ蔵書、愛用していた机(能率机)など貴重な品々が展示されています。そうした資料とともに東京帝国大学在学中に上野陽一が筆記した受講ノートが保管されています。

上野陽一は1903年9月、東京帝国大学哲学科に選科生として入学。心理学を専攻し、1907年本科生となり、翌年7月に卒業しました。在学中、日本におけるさまざまな学術分野の創始者から数多くの講義を受けました。自伝によれば「外国語では夏目金之助(漱石:1867~1916)先生のマクベスも聞いた。」という記述とともに、当時の夏目先生は本を包んできた風呂敷を手に巻いたりほどいたりしながら講義され、その時の印象が忘れられないと書き残しています。

上野陽一が筆記した受講ノートは、上野陽一の研究活動の足跡を知る手がかりとしてはもちろん、当時の日本での心理学研究の様子や東京帝国大学での講義内容を知る上での貴重な資料でもありますので、整理中の資料も含め主なものの概要をご紹介します。
合わせて、活動実績や著作物についても紹介します。

上野陽一 上野陽一

上野陽一(1883年 - 1957年)
日本の経営学者、産業心理学者。産業能率短期大学の創始者。フレデリック・テイラーによる科学的管理法を「能率学」と名付け邦訳し、日本における経営学の端緒を開き「能率の父」と呼ばれる。

上野陽一の言葉

能率とは十のものを十のものに働かすことである。言い換えれば、「ありのまま」あるいは「かけねなし」ということである。

産業能率大学
Copyright(c), SANNO University. ALL rights reserved.